2004/12/31

そこなわれてしまったものたちの行方

 もう決定的なところまで来てしまったようにも思う。何かをするということに対して意味を見出すことができない。いや、今までは意味など見出せなくても、“何かをすること”はできていたはずだ。

 無理やり原因を見出そうとしても、それがないことがある。

 疲れしか残っておらず、そして、頭はもうはたらかない。実にばかばかしい。それが結論であり、行方であるように思う。

2004/12/28

考える能力の衰退.

 ここのところ,ずっと文章を書く気力がわかない.僕の思考の断片を書き留めておくというのがこのスペースの存在意義の大部分を占めているのだけれども,書き留めるべきことが存在しない.

 研究室,というより,実験をクビになってから,どうも研究室に顔を出すのがいやになって図書館にこもって試験の参考書を眺めていた.そういった時の,いくつかの瞬間に何かを考えること(参考書の目的とは別のベクトルの考え)は確かにある.でも,そういった場合に浮かんでくる思考というものは,逃避としての思考であって,常にここで書いてきたような,なんらかの憤りに突き動かされた思考といったものではない.だからこそ,そういったものはすぐに消えていってしまう.

 結果的に目の前に残るのは,何の意味もない間違い探しゲームだ.

 そういった状況のなかで,浮かんだ考えの断片をつなぎ合わせると,“いろいろとやってみて,結局ものにならなかった”という,この9ヶ月を過ごしてみての結論になる.

 何度も同じことを書いてきたように思うけれども,努力と結果/あるいは一切の感情を排除した客観的な評価というものは,必ずしも相関関係にあるわけではない.それをわかった上で何かに立ち向かっていけるというのは一つの才能であり,そうでない人間も世の中には多くいる.

 何かをあきらめないということは,そのほかのいくつかの物事をあきらめることだと僕は思う.

 僕は何をあきらめてここにたどり着いたのだろう.

2004/12/19

 我々は時として,取り返しのつかないくらい他人を損なってしまうことがあると聞いた.今日,それは本当にその通りだとわかった.

 そして,いつもの場合と同じように,やはり“一度損なわれてしまったものは,二度と元に戻ることはない”のだとも思う.

 そういった場合,我々はどうするべきなのだろう.そんなことを考えている場合ではないのに,今,切実に答えが知りたい.

>でもそのときの僕にはわかっていなかったのだ.自分がいつか誰かを,とりかえしがつかないくらい深く傷つけるかもしれないということが.人間というのはある場合には,その人間が存在しているというだけで誰かを傷つけてしまうことになるのだ.
(国境の南,太陽の西 / 村上春樹)

2004/12/14

“なんてあっけないんだ.物事というものは”

 サンプルを冷凍庫にしまってしまうと,もう僕にやるべきことは無くなってしまった.現在所属している研究グループは,年末で事務的にも実質的にも解散ということになり,一昨日をもって,僕はS原先生の指揮下に入ることになった.それ自体は既に予測できていたことだし,はじめの方針が“実験を中止しよう”ということであることも,十分考えられることだった.

 そもそも,今僕が携わっている実験系については,展望がほとんど無いという状況で,一応細々とした確認実験を繰り返しながら(いや,そもそもそれ自体があまりうまくはいっていなかった),仮説を検証するためのアプリケーションを模索していた.

 とはいえ,僕程度の頭でなにか有効な手段を思いつくということなどできるはずもなく,そのうちに試行錯誤することもすべて無駄であるように思えてきて,実現しようもない案ばかり考えるだけになっていた.無駄であると思えるというより,実際に無駄であったことも数多く,誰にも報告していない試みの多くは“よかれと思ってやったことがすべて悪い方向の結果を導く”という結果になった.

 そして,今日からある程度合法的なサボタージュ期間に突入.糞みたいな問題集を使って糞みたいな知識を詰め込む日々が始まった.それも,一応“サボタージュ”なわけだから,陰に隠れてこそこそやらないといけない.なんで勉強するのに(本質的な意味でこれは勉強だとはいえないと思うけれども.どちらかというといやがらせのたぐいだ)隠れてやらないといけないんだ.大正時代かよ.

 一問たどるたびに(解くなんてことはできない),よけいなことを考えている.3時間机に向かって進んだのは7問程度だ.壮大な時間つぶし.実験をさぼってクロスワードでもやっているかのような気分だ.いや,クロスワードでもやっていた方がまだましだろう.時間さえかければやる気がなくても結果が得られる.

 そして,これは,やる気がなければ結果が得られない時間つぶしだ.もっとも,やる気があっても結果が得られない可能性もあるのだけれど(僕のような立場の場合50%の確率でうまくいかないらしい).

2004/12/04

あきらめずにやればどんなことでもできるというのは幻想である.

 あるいは一種の甘えであるといえるかもしれない.当然,あきらめなければ終わりはないし,終わりが無い以上,どんなことでもできるという結論にも一応の正当性もある.

 ただ,だれかが以前言っていたように“ハッピーエンドは終わりではない”ということも真実であるのだから,結局のところ,我々はどこかであきらめをつけなければならない.

 そういうことを,僕は十代の後半から,ずっと学んできたように思う.

 今年の第二四半期から第三四半期にかけて僕は,あきらめないということをテーゼとして毎日を過ごそうと心がけてきた.しかし,それによって得られたものは,ちっぽけなプラスミドベクターが一つだけだ.残りのほとんどすべては滅菌されるか,殺菌されて下水管のなかに消えていった.

 なんてむなしいんだろうか.

 むなしいことだということは,わかっている.これからこういった道をたどっていく上で,僕のようなレベルの人間が人並みの幸せを手に入れることも既にあきらめた.自分は,“そういう人間なのだ”ということは,“既に”わかってしまったと思う.そういう形のあきらめを僕はもう,もったつもりだ.

 僕がベクターをつくるだけに費やした時間の数分の一で,すばらしい結果を残せる人間もいる.人間が平等になどできていないというのはそういうことだ.あるいは,人間は平等には収束しない/していかない.

 僕は,そして僕の年代の多くの人間は,その収束の過程にいるか,既に収束の後を生きている.おそらく,もうほとんどは決まり切って,固まってしまっている.このことを簡潔に言い表した言葉を最近目にした.曰く“どんなに人生が長くても,20歳はその人生の折り返し点だ”.

 確かに,その通りだと,思う.

2004/11/28

セミナーが終わり,後は進みたくない一本道だけになった.

 シンプルは,いいことだ.っていうのはどこかのCMのフレーズだっただろうか.シンプルを目指しながら,そうでない状況にあこがれる.すばらしい矛盾だ.

 深夜アニメ枠.しばらく見てなかったんだけど,かわぐちかいじ(で,あってたっけ)の「ジパング」が始まっていた.っていっても,病気とかセミナーとかで,まだ2回しか見てないけど.とにかく,昨日の回はよかった.ちょっとこれだけ興奮できるものを見聞きしたのは久しぶりだ.(あ,某掲示板のドレミイン倉敷の件は結構緊迫感があってよかったけど.地元だし.実家のすぐそばだし)

 しかもいいところで終わって,以下次週.いろいろ考えながら余韻に浸っていると……続きが,これか.まあ,こういうのも好きだけど,並びをもう少し考えて欲しかった.

2004/11/23

痛みに負けて座薬(鎮痛薬)をいれてみた.

 これはコンプライアンス悪くなるよなぁ…….ただ,効きは良いように思う.肝初回通過効果の回避を実感.

安静にしても直らない.

 ちょっとDOOM感あると思った.
 首都圏外郭放水路

2004/11/19

ということで,

 “帯状疱疹”になってしまった(という診断が下った).

 どうもそれっぽいなとは思っていたのだけど,我慢できないほどの痛みではなかったので,医者に行くのも腹立たしいし,放置していた.それが,ここのところ夜中に激しく痛んで何度も目が覚めるようになってきた.今日目が覚めたら,学校に遅刻していて,それで衝動的に“病院に行こう”と思った.

 思ったのはいいものの,自主的に医療機関に行くのは十数年ぶりだ.どうやっていっていいものかわからない.とりあえずiタウンページで検索をかけて,もよりの“性病科”がメインの病院に行くことにした.

 いくつか実験をこなして,午後から受診.建物の雰囲気からしていやな感じだ.受付の看護婦は完全に僕を無視.医者はジャージに白衣.しかもついたて越しに問診しただけで診断確定.僕の相手をしてくれた看護士だけがわりと感じのいい人だった.

 採血されて,抗ウイルス剤の軟膏を塗られて,“サランラップで”パックされて,大量に薬を渡されて終わり.院外処方も出してないのかよ,と思いつつ研究室に帰る.

 で,レジで8000円以上とられた話をしていると,薬剤師の人(研究室で僕を含む数人以外は全員薬剤師だ)から,それはとられすぎではないかとの指摘.血中抗体の検査費がかさんでるのかもしれないけど,そんなものキットをくれれば僕でもできる操作だ(どうせイライザとかだろ).そのうえ医者は“薬学部なら帯状疱疹について勉強しろ”と言ったあげくなんの説明もしなかった.

 ……だから医療関係者ってのは嫌いなんだ!(特に田舎の競争のない病院と大病院)

(追記)
・アシクロビル(ウイルスのDNAポリメラーゼ阻害薬)
・ビダラビン( // )
 ……両方とも“高い”薬らしい.でも,もっと安いゾロがあるだろ.

2004/11/12

“もうダメ?”というタイトルのスパムが来ていた.

 おもわず,開いてしまった.やはりスパムだった.でも,確かにもうダメだと思う.そういうことばかりを考えている.

“前になんて進んでいない,ただ周りが前に進んだだけだ”と彼は言った.

 言葉が他人の感情や思考を動かすという状況は,確かにある.だけれども,そうでない状況もまた,確かにある.

 どんなに言葉を尽くして説得しても伝わらないという状況を認識しなければならない.そして,たいていの場合,問題は言葉を発する側にはなく,言葉を受け取る側にある.

 “正しいこと”がこの世の中に存在し得ないのは,それが原因であるように思われる.

 思考のレベルが2者の間で違いすぎるという状況もあるだろう.あるいは,思考のシステムが全く異なっていて,相容れないという状況もあるだろう.

 ただ,そういった状況は,お互いの努力によってなんとかなる場合が多い.問題は,受け手側が“閉じて”いる場合だ.

 僕は“閉じて”いる.あるいは,閉じようとしている.いつか来た道に,また足を踏み入れようとしている.

2004/11/08

いろいろとありつつ11月,午前3時.

・なんだかんだやりながらも,結局実験系のことばかりを考えている.

・I橋さんと飯を食いに行って,カレーライスそのもののカレー丼をかきこみながら,でてくるのは“うまくいかない”ということと“難しいなぁ”ということ.

・“だめなやつはなにをやってもだめ”というのは結構本質をついていると思う.そして“うまくいくやつはなにをやってをうまくいく”というのもだいたいにおいて正しい.

・本多のひさびさの新作を読んで,なにか「ダンス・ダンス・ダンス」感を感じて,また読み返してみた.こちらの方がおもしろい.そして,類似点の多さに失望を感じた.「眠りの海」や「祈灯」のころの輝きはどこに行ってしまったのだろう.

・久々に日曜の昼間にある音楽番組を見てみたら,司会が交代していた.本多の件と併せて,“物事というものは,どうあっても移り変わっていくものなのだ”ということを思いながら煙草を吸い,コーヒーを飲んだ.

・コーヒーを飲む喫煙者は心筋梗塞になるリスクが非常に高くなるとかいう研究結果が論文になったらしい.そんな当たり前のことを証明しただけで論文になるのかということが気になった.

・いい加減煙草を吸いすぎだとは思っている.

2004/10/27

はやくも

 飽きてきた.それ以上に,あきらめつつある.4年かけて,(あるいはその前の3年を含めて,7年か)損なわれたものを,取り戻すには,それ以上の時間がかかるだろう.

 一度固定してしまった意識を覆すことが難しいということについて,最近,何度か書いた.7年かけてつくられた意識というもの,それは,僕の本質といっても差し支えないものではないだろうか.

 それと,これから僕が“やらなければならないこと”は相容れないものなのだろう.それは,今年の春先にはわかっていた.あるいは,それ以前からわかっていた.わかっていて,あきらめた.

 そんなことばかりが頭をよぎる.ば か ば か し く て や っ て い ら れ な い .寝よう.明日も,少なくとも僕は,ばかばかしくないと思っている仕事がある.

 何が大切なことなのか,何がばかばかしくないことなのかは,僕が決めればいいんだろうか.これを越えれば,そういう判断をしても差し支えなくなるんだろう.僕はそれ以前で躓いている.

 一方で,なんなくそれを越していく人間もいる.正確には“なんなく越していくように み え る 人間もいる”.どんなに楽しそうに見える人間も,どんなに優秀な人間も,それぞれの絶望を抱えている.

 その絶望のベクトルはどこを向いているのだろう.僕の場合は,自分自身に向いている.自 分 自 身 に 関 し て あ き ら め て い る .こういうのって,生きているって定義していいんだろうか.無生物以下だろう.どんなに壊れかけの機械でも,自分に対するあきらめなんてもたないだろう.生きているだけ,よけい手に負えない.

 何を書き並べてるのだろう.寝よう.客観的には意味のない明日のために.自分だけが意味があると思っている明日のために.

2004/10/26

また

 高校の夢を見た.もちろんいい夢などではない.夢というものはある程度コントロールできるものだと僕は考えているのだけれども,感情というものが容易にコントロールできないものである以上,それも簡単なことではない.

 思い通りにならないことはいくつもある.いくつもあるのが当たり前だ.それを忘れてはならない.

 講演会を聞きに来た高校生を見ながらそんなことを思った.

あー

 後輩に説教される悲しさよ.正しいことはなにかってことはわかってるつもりなんだけど.それを実行できるかってとこが問題なんだよ.

2004/10/25

ばかばかしい

 だいぶプレッシャーがかけられてきたので(あくまで“られた”であって自発的なものではない),とりあえず勉強するポーズだけでもとろうと思って,早く帰ってきてみた.

 全く手につかない.去年よりももっと“ばかばかしく”思える.こんなこと覚えても,何の役にも立たないという考えしか浮かんでこない.基本骨格の名前を覚えて,どう応用するんだろう.そんなものいくらでも成書があるだろう.そもそも僕は馬鹿な人間なのだから,こんな無駄な知識を蓄積すべき場所なんてないはずだ.

 今すべきことは,adipocyteのdifferentietionに関する体系的な知識を身につけることであって,化合物のIUPAC命名法などを覚えている場合ではないはずだ.

 考え方を変えなければ間違いなく落ちる.そうは思ってみても,あるいは思おうとしてみても,やはり“ばかばかしい”という考えしか浮かばない.

 毎週セミナーという方がどれだけ役に立つだろう.今後の人生においてもっとも無駄な期間をこれから過ごすことになる.まだ,普通自動車免許の方が価値があるだろう.あるいは見いだすことができた.

 この先にある結末にどんな価値があるのだろう.プラスにならない価値にどんなモチベーションをもてばいいというのだろう.優越感という価値を見いだせる人間もいるだろう.だいたいこの学部というのはそういう人間の寄せ集めだ.だけど,これから可能性を削りつつ,なんとか生きていこうと考え始めている人間にとっては,そんなものゴミに等しい.

 立場が違えば見方が変わってくるということはわかっている.それでも,ばかばかしいとしか思えない.それは,おそらくは.(昨年から引き続き)どうしようもないことなのだろう.

2004/10/22

ねむ

・生協で前に見かけた雑誌を探していたら,どこかで聞き覚えのある曲がかかった.なんだったっけと考えていると,隣の二人連れが“あ,ヨン様だ”と話していた.無性に腹がたった.

・引っ越してからこちら,近くの自販機で売っているネスレの“ふんわりクリームソーダ”ばかり飲んでいる.さすがに飽きてきたけど,ここのところずっと売り切れだ.守銭奴の“家主”はなにをやってるんだろうか.(入居のときに渡された注意書きに記載されていた“家主”という表現も鼻につく)

・藍坊主の「ヒロシゲブルー」.とりあえず「鞄の中,心の中」はよかった.まだちょっと荒削りな感があって,同じ曲調のものばかりこれだけ並べられるとちょっと胸焼けする.今後に期待.

・星野の新作キューブの広告が来ていた.僕はこの会社にかなりの額を投資した気がするのだけれども,毎回“新しい”といわれても,全く新しくないように思う.こういう傾向のデザインは嫌いではない.でもさすがに枯れすぎだ.サプライズが欲しい.

2004/10/20

風にのること.

週末,ひどい飲み会(新歓)の翌日,ひさびさにF原氏と会った.詳しい事情は省くとして,彼は自動車オーナになっていた.

 “ああ,みんな大人になっていくのだなぁ”などと考えながら,いろいろと話をした.ただ,昔なら(いや,昔といってもほんの一年ほどしかたっていないのだけれども,)あったはずの酒がだけがなかった.そういうことも,大人の事情というものだ.

 ふとしたところから,“風がふいたときには,それが追い風であろうと,向かい風であろうと,それにのらなくてはならない”という話になった.

 これから,僕がどこにむかうのかは全く見当もつかないけれど,延々と特急列車を待つことが,必ずしもいいことではない,ということだ.たとえ,それが間違いだとわかっていても,ほんのすこしだけの可能性にかけて,その風にのる,あるいは列車にのること,そういったちょっとした冒険心が必要なのかもしれない.

 彼を見送って,とぼとぼと部屋に帰りながら,少しだけ,前向きに生きてみようかなんてことを考えたりした.

2004/10/12

結局

ひさびさに部屋から出ない一日を過ごした.まあ,多少やりたいことはあったのだけれども(不燃ゴミ用のゴミ箱とか,蟻の駆除剤とか欲しかった),どうも体がだるくて動きたくなかった.

 これだけ長い時間部屋にいると,たまにインターホンが鳴ることがある.でも,それを無視するのもわりといいものだ.どうせ,たまに出てみても訪問販売だ.出会いなんてものはそんなところには転がっていない.だいたい,休みの日に人を訪ねてくるのなら,アポイントととってから来い.

 一度,院試のころに,浄水器の訪問販売員を部屋にあげてしまったことがあった.彼はどうも新人らしく,非常に段取りが悪かった.こちらが落としどころを作ってやろうとしているのに,それを受け入れる準備ができていない.だいたい,既に浄水器を使ってる人間が,そんなうさんくさい(半永久的に使用可能とか)ものを買うはずがないだろう.まあ,僕のことを医学部の学生だと勘違いしていたみたいだから仕方ないのかもしれないけど,根拠を示せといって,それに対して何ら回答を示すことができないというのは,(訪問販売員としての)スキルが低いとしか言いようがない.

 この間も,そんな感じのやつがやってきて,しつこく食い下がってきた.結果として,ひどい対応をしてしまったような気がして,後で気分が悪くなった.

 ということで,僕はインターホンをとらない.原因がなければ,結果も生じないのだ.

2004/10/11

たとえ祝日であっても起きたら時計とカレンダを確認してしまう.

大学で,講義だか講演みたいなものがあった後,研究室の方へ戻っていると,後ろの方が何か騒がしかったので,振り向いてみた.ただならぬ気配.そっちへ行ってはいけないような気もしたのだけど,何人かが走っていく方向へ僕もついて行った.

 講堂の周りではデモかストライキのようなことが行われていて,いわゆる人間の盾みたいなものができあがっていた.遠巻きに見ていると,銃声が聞こえて……

 というような夢を見た.続きは例によって追われるパターン.そんなのばかりだ.

2004/10/07

あー

だめだ,ぜんぜんだめだ.いやになってきた.

3(2):実験の合間に考えたこと・人生の合間に考えるべきこと

容易に想像のつくことだけれども,“何事も成し遂げることができなくなる”のだ.ここ数年で,僕はそれを実感した.

 そこまでして,生きることに執着する必要があるのかとも思う.何事も成し遂げることができない人生に何の意味があるのだろう.おそらく,生きることへのあきらめによって人は死を選ばない.あきらめることは,死に対するあきらめも含んでいるのだろう.

 だけれども,人はインタラクトしている.自分が見いだす“一瞬の光”ではなく,他人からもたらされる“一瞬の光”も,ある.

 そして,僕は今,それを失おうとしている.具体的にいえばあと数ヶ月だ.こういうことは,何度もあったようにも思う.そのたびになんとかなってきたようにも思う.それでも,不安はなくならない.

3:実験の合間に考えたこと・人生の合間に考えるべきこと

ここ数年で“一瞬の光”を感じたのは2回ほどしかない.しかも,どれもが実験がらみ.まあ,そんなものかとも思うけれども,なんだかなぁ,とも思う.

 ずっと連続していくということは,安定しているということでもあり,変化がないことだともいえる.だれもがたいていのことにずっと連続していくということを求め,最終目的のように考えている.ただ放っておいても,最期の一瞬をこえれば,永遠の連続が待っている.

 昨日(だったと思うのだけれど,“連続”の中で日々の区切りは少しずつ消えつつある)“たとえば明日自分が死んだら”ということを何人かで話していた.その中で,“死後にまで残る羞恥心”といった話になった.具体的にいえば,死ぬ前に消去しておきたい物事がいくつかあるということなんだけれども,やはり普通はそういった考え方に至るものなのだろうか.僕は,“自分が死んだ瞬間にこの世界も終わる”と考えているので,あまり,そういう心配はない.いや,決して,暴かれて困る秘密がないということではなく,生きているうちに暴露されて困ることはあっても,死んだ後に暴露されて困ることはないということだ.

 自分本位すぎる考え方かもしれない.でも,“死にたい”,あるいは“消えたい”という思考が,この世界に存在する以上,自分の死によって世界が消滅すると考えて差し支えないと思う.どうしようもなく追いつめられた人間がとる,あるいはとってしまう“最後の出口”にそのくらいの救済くらいあっていいような気がする.

 最後の出口の手前までいって引き返してきた人間は,あきらめる能力が高まるように思う.あきらめの閾値が下がると言い換えられるかもしれない.誰かにそんなことを言ったような気もするけれど,あきらめること,自分に対するあきらめを持つことは,生きるという果てしなく,限りなく,つらい道のりを楽にしてくれる.それでも,たいていの物事がそうであるように,“そのことによって生じる影響”というものが,当然,ある.

2004/09/29

“一瞬の光”

僕がはじめて本多孝好の作品(たしか、「眠りの海」だったと思う)を読んだ時に思ったことは、“うまいなぁ”という感想だった.それは,“久々によい小説を読むことができた”という喜びと,“小説を読むことの楽しさ”を再確認する契機となった.(し,そう,ここにも書きのこしたように思う)

 本多に連なる一連の傾向のよく似た小説のルーツをたどる意味で,村上春樹の初期三部作を読んだときには,“ああ,こういうものなのか”といった納得のようなものを感じたように思う.いずれにしろ,本多の作品から,感じたのとは違う思いがあった.

 白石一文の作品との出会いはあまりいいものではなかった.さんざん話題になった後,「僕のなかの壊れていない部分」を“そうとう苦労して”読んで,それ以来手をつけていなかった.それから,しばらくたって“白石の最高傑作は「草にすわる」であろう”という意見を聞いて,それを読んでみた.非常によかった.決して前者が悪い作品だというわけではない.おそらくは,僕がそれを読んだ時期が悪かったのだろう.あるいは,作品の流れがそのときの僕と一致しなかったためかもしれない.だけれども,「草にすわる」を読んで,白石は“積極的に読みたい作家”のひとりになった.

 その,“積極的に読みたい”という欲求が不意に高まって,おととい,白石の処女作である「一瞬の光」を読んだ.“これが読みたかったのだ”と思った.期待と内容が一致したといえばいいのだろうか.内容をここに書く余裕はないけれど,とにかく,そう思ったということを記録しておきたかった.

2004/09/26

2(3)

どんな集団であろうと,その中には悪意が存在し(あるいは悪意をもった者が“含まれ”ていて),状況によってその悪意は狂気を育てるというのが,その考えの要旨なのだけれども,やはり,それは間違っていなかったと確信した.ただし,悪意が悪意であるのは,あくまで観察者(あるいは“僕”)の方からみた場合の“悪意”であって,客観的に見れば“どちらが悪意であるのか”は判断できない.

 あるいは,その“悪意”は,我々の未熟な“インタラクション”が招くものなのかもしれない.“全てを語っていいわけではない”.だけれども,それと同時に“思いは口に出さなければ伝わらない”.さらに,“受け取る側は均一ではなく,同時に変化し続けている”.考慮されるべきファクタは膨大だ.数式にあらわすのはかなり難しいだろう.

 この社会のなかで“正しい”ことなどひとつも無い.あるいは,正しい答えをひとつだけに絞ることなどできない.ある人は,その“正しさ”とは“常識”であると僕に言った.だけれども,“常識”すら,場所によって,文化によって,時代によって変化していく.

 だから,僕は普段の生活の中で,特に他人に対しては“正しさ”を要求することをしない.いや,“だから”ではなく,他人とインタラクトすることを恐れているだけかもしれない.

 時に許せないほど“正しくない”他人に出会うことがある.そのたびに煙草の本数は増え,ウイスキィの空瓶が増える.健康には良くないだろう.でも,僕にはそのくらいしかできないのだ.それに,モノゴトはなるようにしかならない.きっと,ここが行き止まりなのだ.

2(2)

この間,テレビで“es”という映画を見た.だいぶ前に話題になって,以前から見たいと思っていたので,期待を持って見,そして期待通りだった.こういったことはあまり無いことだけれど,たまにあると,非常にうれしいことだ.

 映画自体は,過去にアメリカで行われた心理学の実験を下敷きにしたものだ.それは,一般人(何を持って一般とするかというのは興味深いけれど,難しい問題だ)であっても,外部的に割り当てられた“役割”(そして,一般に社会の中で割り当てられる“役割”というのは“外部的に”割り当てられるものだ)によって,簡単に感化されてしまうということを示そうとして,途中で予想外のアクシデントが生じて中止された(と,理解している).そのアクシデント周辺を描いたのがこのドイツ映画だった.“ドイツ映画”というところが,また示唆に富んでるように思えるのだけど,とりあえずこの映画を見終わって考えたのは(何度かこの日記で書いてきた)“集団の中でインキュベートされる悪意”というものだった.

2

インタラクションという言葉に興味を持ちはじめたのはいつのことだったろうか.より狭義な言葉の使い方をするならば,その“はじまり”は学部の講義の中であったのだろうか.すなわち,アゴニストとアンタゴニストのあいだのインタラクション.この学部におけるだいたいの事柄は,この関係によって記述することができる.もう忘れてしまったけれども,教官(これも,今では“教員”と書かなくてはならなくなってしまった.時は矢のように過ぎ去っていく)の一人が講義のなかで繰り返しこの言葉を使っていたようにも思う/思い出される.

 ただ,僕が興味を抱いたのはそういった“狭義な”意味の取り方のほうではなくて,もっと“広義な”方の意味の方だ.国際関係.国と国とのかかわりかたから,人と人とのかかわりに至るまで,全ては“インタラクション”であり,もっと“非”有機的な事柄まで話を進めるなら,コンピュータや流行のMEMS技術なんてものにも,それはかかわってくる(インタネットなんて,“それ”そのものだ).

 何をするにしろ,一人,あるいはひとつではやり遂げることのできない物事を実行しようとするとき,必要になってくるのが,それであって,人間についていえば,生きていくという誰もが行っている行為にすらそれが求められてくる.本質的に我々は,“群れ”なければ生きていけない.それは,昔から今に至るまで変わらない“本質”であるように思われる.

 たとえば,休みの日に目が覚める直前・くだらない午後のテレビ番組を眺めている時なんかに,そんなことをふと考える.そして,“おそらくは,その必要からはどんなことをしても逃れることはできない”.必要あるのならば,どんなカタチであれ,ラクに,簡潔に済ませたいものだけれども,そう単純にもいかない.人間というものは,効率的に“出来上がっている”にもかかわらず,“インタラクション”という高次のインプット・アウトプット作業を行う場合には非効率で,のろまで,失敗ばかりするようにできている.これで“霊長類”などと名乗っているのだから,本当にワラえる.

2004/09/22

1(2)

思い返してみれば,僕がそういった一連のスキルを身につけたのは,高校時代から学部時代の半ばにかけてであったように思う.その過程は,あるいはその過程によって形成された「僕」は,これからの僕の行き方の方向性をほとんど不可逆的に規定してしまった.それを認識した上で,僕はその上に皮をかぶせて,「僕のエイリアス」をつくるずるさを身に着けることに成功した.

 成功したと思っていた.いや,僕はその「僕のエイリアス」を僕自身であると誤認して,それからを過ごしてきた.その「誤認」は非常に愉快だった.できることなら,いつまでもだまされていたかった.

 だけれども,そのことに僕は気づいてしまった.「誤りであったことに気づいてしまった」.以前なら逃げ道は用意されていた.何度もここで書いた話だ.わざわざ繰り返す必要はないだろう.

 だけれども,僕には,既にその逃げ道がなくなってしまっている.そのことはだんだんとわかってきていた.

 だからこそ,レスポンスがなくても,「さて」と独り言を口にしなくてはならないのだ.

1

「さて」などと声に出してみたところで,どんなレスポンスも返ってこないことを僕は知っている.さすがにそこまで馬鹿ではない.とはいえ,「誤っているとわかっていることを回避する」能力は僕には備わっていない.

 あれから6ヶ月が過ぎようとしている.そして,それは何度でも,おそらくは,何度でも僕の前を通過していく.

 あれから,ひとつのことだけを散々考え続けてきた.「一度損なわれてしまったものは二度ともとに戻ることはない」.村上(ドラゴンの方ではない.彼の文章はあまり好きではない)の影響だろうか.「損なわれる」という言い回しは彼の文章によく見られる.まあ,仮にそうだったところで,誰にも迷惑はかからないだろう.どうせ,どんな知識だって誰かからの受け売りなのだ.とにかく,僕が,僕自身がそのことを考えていたということがここでは(おそらくは僕だけにとって)重要なのだ.

 自分自身が「考えている」という状況に至った原因についてたどることも,好んでよくやったように思う.思考という状況ではなく,感情についてもそれは同じだろう.何らかの感情が生じる過程にあっても,やはりそこには思考が存在しているはずであって,その原因をたどることはわりと容易いことだった.

 それはつまり,僕という存在の底の浅さを露呈しているということかもしれない.だけれども,僕にあっては,感情の原因となる思考は,それの近くにあることが多くて,それを押しとどめたり,捻じ曲げたりすることは簡単だった.あるいは,簡単なことが多かった.あるいは,「簡単になってきた」.

 二度と元に戻ることのな損なわれてしまった時間を過ごしていく上で,それは重要なことだった.生きていくうえで,換言すれば,他人とインタラクトしなければならない状況にあって,それは「僕にとって」必要なスキルだった.

2004/09/19

(例によって文字数制限に引っかかったので続き)

・と,そのYザキさんが新しいコンピュータを買っていて,それに関しての話の中で,“やっぱりATOKの方がいい”と言っていた.切実に,ATOKがほしい.MSIMEを使っているとレスポンスの悪い人間と話しているかのようなストレスを感じる.(僕自身は決してレスポンスのよい人間ではないけれど)

・焼酎をサンクスで買ってきた.サントリーの“それから”という600円くらいのもの.飲みやすくて非常によかった.もうひとつ良い点はウイスキーと違って飲んでいても煙草を吸いたくならないところ.

・結局ボウリング・フォー・コロンバインはラスト30分くらいしか見られなかったのだけど,それと,おとといあった“セクハラ・アカハラ”についての講義をあわせて,最近の“権利ばかり主張しすぎる傾向”について考えてしまった/考えている.

ボ“ウ”リング・フォー・トクシマ

・相変わらず,実験・食事・実験・食事・実験・酒・寝るの繰り返し.その間にイレギュラに飲み会とか掃除とか洗濯とかソフトボールとかソフトボールとかソフトボールが入ってくる.

・ということで,明日は朝からソフトボール.研究室対抗らしい.

・連休?,いや,休んでないんですけど.

・だいぶ前の話なんだけれど,ノーマルなAg+を使い切ったので,今度はオレンジシトラスとかいうものに変えてみた.これが,トイレの消臭剤のようなニオイなのだ.まあ,そんなにしつこく残るわけじゃないし,安い買い物ではなかったから,そのまま使い続けているけれど.

・Yザキさんから借りていた「火の鳥」をやっと読了.“未来編”は前々からうわさを聞いていて読みたかった.まあ,これについてはうわさどおりだったということもあって,“ああそうですか”という感じ.それに,それ以外にも“未来編”と銘打つべきだろうと思えるものが多かった.むしろ,よかったものとしては,それらの“それ以外の”未来編が多かった.たとえば“生命編”などは,このシリーズを通して手塚が言いたかったことをダイレクトにあらわしているのではないかと思う.
 そして,“太陽編”.“何が太陽なんだよ”と書こうとして,“ああ,なるほど”と思い至った.もう僕は遠く昔に興味を失ってしまった日本の初期についての歴史に絡めた話で,非常に多くのファクタが絡み合った味わい深い作品だった.とはいえ,物語として面白くないというわけではなく,手塚という作家の実力を感じる.“日本の初期”といえば,(確かそうだったと思うのだけれども)明治期とならんで,日本人と宗教というもののかかわりが深かった時期であって,当然のことながら宗教もテーマのひとつになってくる.
 僕は常々“宗教とは人類最悪の発明だ”と思っているし,何回かここでも書いてきた.この事に関して,作中では“宗教に罪があるのではなく,それを運用する人間の側に罪があるのだ”と語られている.“でも宗教や神をつくったのは人間なんじゃないの”と思いながらも興味深く読ませてもらった.早くYザキさんに返しに行かないといけない.

2004/09/15

あー

・“ボーリング・フォー・コロンバイン”じゃなくて,“ボウリング・フォー・コロンバイン”なのか……(明日放送らしい).

・いつの間にか黒澤の“生きる”がDVDになっていた.ほしいけど,高い.

・“生きる”がハリウッドでリメイクらしい.ちょっと興味がある.

・つかれた.

2004/09/14

しかし,

ロシアの件など考えるにつけ,宗教ってのは罪作りな概念だなぁ,という感想が浮かんでくる.

 どの宗教が優れていて,どれが劣っているとかいうことはいいたくないし,いえないと思うけれども,本来“我々が毎日を平穏に暮らすために”あるはずの宗教が戦争や紛争の火種になっているというのは,どういうことなんだろうか.

 仮に,本当に神なんて存在があるのだとしたら,こんな状況を放っておくだろうか.もちろん“これは神が我々を試すために課した試練なのだ”なんて屁理屈も昔から言われてきた.

 それは,すなわち“昔から,我々は争いを続けてきた”ということを言ってるだけで,宗教や神の存在を否定することにしかならないのではないだろうか.

 いや,きっと“罪”は宗教にあるのではない,“いいわけとしての宗教を創りだした我々”にあるのだ.

 宗教は本来“生きることに対する恐怖を回避するためのストーリー”であるべきものだ.つまり,我々は,我々をだますために“我々の”宗教と神を創りだしたわけだ.それは“我々が創りだしたもの”であるからこそ,不完全であり,不調和であった.つまりは(広い意味での)民族ごとの価値観がそれに反映されることになった.

 つまり,今に至るまで宗教に付随して起こった争いは,我々が価値観を認め合えなかったことにあるのだ.

 ……なんて,結局平凡な意見に帰着してしまうようなことをグダグダと考えた(書きながら考えた.なんて不毛なんだろう).

2004/09/12

“読書三昧”のリアレンジメントも考えているんだけど……

なかなかまとまった時間と気力がなくて,読み散らかしただけの本がかなりたまっている.

・金閣寺:三島由紀夫
 それほど訴えかけてくるものがなかったように思う.よく“三島の文章は端正である”といった言われ方をしているのを目にするけど,(というより,そういった意見をよく聞くのでこれを読んでみたのだけど),特に,積極的に“そう”は思わなかった.文章のスタイリッシュさという意味では,やはり夏目を超えるものはいない(あくまで僕の中で).

・ねじまき鳥クロニクル(その1);村上春樹
 yondaのキャンペーンのためもあって読んだ.とはいえ,前半は短編を下敷きにしてるんで復習といった感じ.とりあえず,続きが気になる.

・火の鳥:手塚治虫
 5巻くらいまで読んだ.

・アフターダーク:村上春樹
 “新趣向”なんだろうけど,どうも今ひとつだった.そういうのが村上なんだろうけど,話が進まない(決してスムースに話が流れていかないというわけではない)ところに不完全燃焼を感じる.まあ,それが“アフターダーク”ってことなのかもしれないけど.

・Φは壊れたね:森博嗣
 今週の餌.“四季”は夏以降読んでないんだけどなぁ…….

2004/09/10

吐き出した言葉は
いずれ
自分に跳ね返る

2004/09/09

デートスポットをめぐる冒険2

 ムダに心地よい風を受けながら(暴風を心地よいと感じるのは僕がコドモだからだろうか.それともオトコだからだろうか),“道”を進んでいくと,人々が“半笑い”な原因が少しずつ見えてきた.というより,我々も“半笑い”になっていた.

 “道”を行くにつれ,風・高所・下が見えること・しかも下が海,といったファクタが絡み合ってどこからくるのかわからない本能的な興奮が湧き上がってくるのだ.

 この時点で,この施設は“アリ”だと思った.たとえ渦が見られなくても,これは“面白い体験だ”.だいたい渦なんて,T島新聞ニュースのイントロで程度のいいものが見られるわけだし,一番渦ができやすい時間ではなくても,適当な感じの渦はできているのだ.

 で,そういった自分の内面の興奮から,ふと我に帰ってみると,気づくのはカップルの多さ.しかも,入場料という制限がかかっているせいか,いわゆる“よさげな”カップルばかりなのだ.普段道をあるいていて,そういったカップルを見かけた場合は,“それ以外”が多いので,ほほえましく思えることが多いのだけれど,これだけ多いとさすがに鼻につく.まあ,どっかいけよなんてことは思わないにしても,僕のような人間が来るところではないなぁ,なんてことを考えてしまう.

 つまり,そこは,風と高所(と,あと名目上は渦と)をテーマとしたアトラクションであると同時にデートスポットでもあったわけだ.

 といった感じで僕の週末は過ぎていった.

 という程度のことを書くのに木曜日までかかっている僕はどうなんだろうか.

デートスポットをめぐる冒険

 ということで,盗まれた自転車のピックが終了した後,W山氏と合流して,N門市へ向かった.前々からその存在は聞いていたものの,“おもしろみ”というものを見出せなかったために行っていなかった“渦の道”という施設を見学しにいくことになったわけだ.

 時間的には“渦”が発生するまでにはまだ間があったのだけれど,とりあえず入場(この入場料もT政氏におごってもらった.ありがとうございました).

 ちなみに,この施設,四国と本土をつなぐ橋の四国側の“本来は(瀬戸大橋のように)電車を通すはずだった場所”に造られている(W山氏,談).つまり,橋の下にくっつくカタチで存在していて,そこから海を見下ろす格好になっているわけだ.この“電車を通すはずだった場所”にこんな施設を造らざるを得なかったのは,“途中にある「島」の問題とかさまざまな利権が絡み合っている(同,W山氏)”ためらしい.

 入り口には,改札口のようなものがあって,ちょうど空港の搭乗手続きのように係員がチケットを通してくれる(この辺の人件費はムダな気がしたけど,よく考えるとその仕事は“片手間”な仕事なのかもしれないと後になって思った).その辺までは,だいたい想像どおりだったのだけれど,いざ“道”に踏み込んでみると,そこは奇妙な雰囲気に満ちていた.

 まず,海からの風.予想以上に強くて,意外に潮のニオイはしなかった.そして,なぜかすれ違う人々はみんな半笑い.

(文字数制限を越えてしまったので,次に続く)

2004/09/05

盗まれた自転車をめぐる冒険

 セミナーまで,1時間を切った朝,警察からの電話.
 カタチどおりに(なのか知らないけれど),フルネームで名前を確認されて,さあ,出頭しろといってくるのかと考えていると,自転車を所有されていますか,という話に.“ええ,そりゃ持ってますけど”と答えると,あなたの自転車が住吉(かなり海の方だ)のある人の私有地に放置されているとのこと.“ああ,それは盗まれたやつじゃないですか?”というと,“盗難届けは?”と聞かれた.面倒なので,そんなもの出してない.

 結局,日曜日(今日)回収しに行くことに.

 話は戻って,電話の1時間後,セミナーは始まって,6時間後に終わった.終わって机を片付けたらそのまま帰宅.T政氏がこちらに来るとのことで以前から予定が入っていた.W山氏の運転で食事へ.ごちそうさまでした.

 カラオケ経由で帰宅し,アルコール入りで愚痴トークの後就寝.

 翌日,日曜日.盗まれた自転車を回収に向かう.警察が指定してきた時間は“昼過ぎ”.巽屋というラーメン屋で朝食兼昼食をとって(やはり僕の中でT島ラーメンのベストは“今は無き”庄軒だ),交番に乗り込んだ.

 と,調書を取られることもなく,すんなり回収地点を指示されて解放.正直拍子抜けしたけれど,あまり長くいたい場所ではないので,素直に回収に向かう.そして,さらにあっけなく,件の自転車に再会.僕が付け替えたグリップ(そもそも付け替えたのは,デフォルトのものの接着が悪くて何度も死にかけたからだ)とか,どこかのバカに盗まれたライトの“とりつけ部品”とか,壊れかけのブレーキだとかを見てるうちに,“そのころ”のもろもろの感情が戻って来て,非常に,非 常 に 腹がたった.

 パンクした自転車をとりあえず蒸散島キャンパスに置いて……,続きは疲れたのでまた次回ということで(その“パンクした”自転車を下宿まで転がしてくるのがまた大変だった).

2004/09/01

えー

・セミナー接近中.

・いろいろと読みたい本が出版されつつある.

・台風はひどかった.(台風の中を出歩いたのは久しぶりだった)

・新iMacはどうなんだろう.

2004/08/27

そう,

 ロシアのことを少し書こうと思っていたのだった.でも,もう時間も気力もない.

 かなり,はっきり,きっぱりと,寝ます.

夏風邪は……

 風邪なのか何なのかわからないけれど,体の節々が痛くて,頭がミシミシ痛くて,立っていられないという症状が現れて,どうしようもない状況がここ数日続いた.

 実験は連なっているので,休むわけにもいかず,やらなければならないことだけを片付けて,マグネットを“寸外”にして,部屋に帰ってロキソニンを飲んでひっくり返っていた.

 そんな中みた夢.

・小さな斧を振り回して人を襲う夢.
・致死的な疾患の初期段階であるという告知をうける夢.

 週末には,少しくらい休めるだろうか.

2004/08/22

休みといわれても,

 やることがない.

 とりあえず,休みの日くらいは自炊しようということにしているので,ちょっと仕事を片付けたあと,マーケットに寄って買出し.さびれた店だけれど(それに,ホントのところ売ってるものの鮮度はあまりよくない),休日でも客が少ないところがいい.

 昼飯を作って食って,この間買った本を読んでいる途中で寝てしまった.目が覚めると,もう,夕闇がせまるころ.

 晩飯を作りながら,久しぶりにテレビをつけてみてもオリンピックと24時間テレビしかやっていない.実にばかばかしい.

 晩飯を食べて,ごろごろしていると,涙が出てきた.

 もうすぐセミナもある.論文にはまったく手がついていない.そんな,週末.いや,週はじめか.

2004/08/21

酒を飲んで,

 草に座ってみたものの,特に何も感じなかった.大体“わたしのまちがいだった”なんてことは,普段から感じている.それは,おそらくは自分がどんな環境におかれたところで,僕の根底に“あり続ける”考えなのだろう.だからこそ,僕は「草にすわる」に共感したのだろう.

 草に座ったところで,問題は解決しない.世の中は,そんなに単純ではない.

 (前にも書いた気がするけれど)一度思い込んでしまったことを覆すのはなかなか難しい.一度現れてしまった感情は,たとえ,それが“表明”されていなかったとしても,自分の中で転がされ,消化されていくものであって,だんだんとその形を変えていく.その流れを,意思で,理性で,自分の思う方向に誘導することは,とても難しい.

 だけれども,そうしようと,努力している.そして,それは悲しいことに少しずつ実を結びつつある.

 K岡先生から,「坂の上の雲」を読むべきだと言われた.歴史ものはあまり好きではないのだけれど,本屋に行く機会があったら,目を通してみようかと思った.

ブラックバスは,

 釣れていたのだけれど,家に持ち帰る途中に別の魚とすりかわっていたことが判明した.というか,昨日の時点でその証拠はつかんでいた.見るべきものが見えていなかったということ.

 とはいえ,すりかわった原因とか,どうやったらブラックバスを家まで持って帰ることができるのかとか,そういった一連のプロトコルがいまいちわからない.とりあえずは,愚直に同じことを繰り返している.クーラーボックスを何度も覗き込みながら.

--

・今晩はノートン先生がやけにうるさい.何かあったんだろうか.Visual Trackingも初めの頃は面白かったけど,これだけ多いと腹がたってくる(警告が出るたびに,文章書きが寸断される).KとCの国の人間は何をやろうとしているんだろう.

・前にも書いたけど,MS-IMEはなんでこんなにストレスがたまる変換結果を示すのだろうか.やっぱりATOKを早急に導入しないとやっていられない.

2004/08/19

ligate into summer

 台風の影響で,今週2回もずぶぬれになった.“ずぶぬれ”.なんとなく懐かしいニオイのする言葉だけれど,本当に“僕にとって”懐かしいのかというと,そうでもない.まあ,プールで泳ぐのが“ずぶぬれ”になることだとすれば,毎日のようにそうなっていたともいえる.でも,“ずぶぬれ”になって“遊んだ”記憶はない.

 前回の日記で“荷物が届いたら”と書いていたけど,その“荷物”というのはアマゾンからのCDだった.中身はAvril Lavigneの「Let Go」と「UNDER MY SKIN」.流行りものにはとりあえず飛びつく性分なので(当然シーフードヌードル焼きそばは食べたし,マツケンサンバも堪能した),いきなり大人買い.というより,まとめて買わないと,周辺でCDを手に入れられる場所がないので,面倒だったということの方が大きい.

 往々にしてこういうことをすると,後悔するんだけど,今回はそうはならなかった/少なくとも,今はなっていない.詳しく書くほど聞き込んではいないのだけど,とりあえず,今日は頭の中で一日中“complicated”が流れていた.

 実験系の方も“complicated”な状況になっていて,今日は“ブラックバスを釣りに行って,ヒットはしたのだけど,仕掛けが無くなっていて得体の知れない深海魚が目の前でゆれていた”とでも言うべきことが起きた.もう少し正確に描写するなら,僕はその“深海魚”を刺身にして(あるいはフライにしてでもいいんだけど)食べてみるまで,仕掛けがなくなっていることにも,吊り上げたのが“深海魚”であることにも気づいていなかった.

 とにかく詰めが甘い.どうにかしたいけど,全ては明日だ.明日が多分くるだけ,僕はまだ幸せな部類なんだろうけど.

2004/08/17

土砂降りの中

 “一時”帰宅.荷物が届いたらまた出勤だ.

つかれた

 田舎の街では,その街の規模にふさわしくない祭りが毎年4日間も行われる.聞いた話によると,この時期には,この街の人口を超える人間がこの祭りを見るために日本中から集まってくるらしい.
 こういった話はまったく無関係に思える大学でも,むやみに軽薄で,能天気で,寝不足の頭をいらだちでいっぱいにする祭り囃子を練習しているグループがある/あった.なんでも学部ごとにグループがあって,その祭りに参加しているらしい.というか,学部時代僕も金だけとられたことを覚えている(あれ,金はとられてなかったかもしれない.でも,大学ではこういった形で金をとられることが割と多い).
 祭りの期間中は,街の端っこにあるキャンパス周辺でも浴衣姿の人を見かけることが多かった気がする.祭り自体を見に行ったことは無いし,これからもそのつもりはないけど,そういった雰囲気のようなものから“感じる”ことはいくつかある.

 といったわけで,田舎の町の夏は終わり,それと前後するかのように,急激に気候が変わった.夜などはクーラーが要らないくらいだ.
 これは,何なのだろう.昔は“暑い時期”がもっと長く続いていたように思う.やはり“季節が前倒しにずれつつある”(あるいは暦がずれつつある)というのは本当なのかもしれない.

--
 読んだもの.読む予定のもの.
・ナ・バ・テア:森博嗣
 “スカイクロラ”の続編.雰囲気が好きだったので,まあ“可”といったところ.相変わらず装丁はすばらしいけど,中身はだんだんスカスカになっていっている気が……(まあ,これはこれでアリか).

・Gene:瀬名秀明(ゆがんだ闇に収録)
 一応,ホラーなんだろうか.角川“ホラー”文庫収録だから,そうなんだろう.タイトルが“Gene”ってことで,遺伝子解析がらみの話.それ以上に触れるとネタバレになりそうなんで書けないけど,舞台となる研究室の描き方とか,そこでの人間関係とか,研究することとか,そういった枝葉末節も,割と興味深かった.

・金閣寺:三島由紀夫
・ねじまき鳥クロニクル:村上春樹
・火の鳥:手塚治虫

2004/08/15

あー(移転モード)

 どうも,このコラムをトップページに表示する機能がうまく働かないみたいだ.いったいどうなっているのやら…….

よくわからなくなってきた

 酒でも飲んでフテ寝しよう…….

やっぱり

 反映されてない?

どうも(移転モード)

 部屋と同じでサイトの移転ってのも大変だ.
 とりあえず,前とほとんど同じ形でアドレスのみ変更といった感じになったけど,うまく機能していない部分もいろいろありそうだ.
 長い文章を書く気力がないんで今日はここまで//

2004/08/14

じゃ,とりあえず

今日はこのへんで.
もう明日起きられないっぽいけど.
掲示板を作ってる余裕はなくなった.

“タイトルが長くなるとどうなるのかっていう検討をやってみよう”と僕は思った.

イメージのサイズに関しては

検討しないといけないっぽい.

リンクは,こんな感じになる.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/entrez/query.fcgi
ぱぶめど

こんなことも

割と簡単にできるようになった.(本当はここに写真が入っていた)

しかし

不安定だ.どうもうまくいかない…….

えー

 明日も仕事なんだけど,とりあえずここまでこぎつけました.

2004/08/13

えー

 @homepageの方の設定が面倒なんで,とりあえず,こっちに移転することにしてみた

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