2009/12/30

ピラー

 大学で半日ディスカッションとデータ加工をやってきた.コンピュータを教員室に持ち込んでひたすら作業と軌道修正の繰り返しで,先生とも“客観的にみるとこれってかなりおかしな状況ですよね”なんてことを言い合いながら,気づけば0時前になっていた.通常であれば一週間程度かかる作業を詰め込んでやったのでかなり消耗したものの,これで懸案事項が滞りなく進む予定.まあ,たぶん進まないんだろうけど.

 で,その後アンフェアな案件を進展させるべく行動を開始したものの,途中で重い別案件が割り込みをかけてきて微妙な展開になってしまって,失意の中高松まで移動.その後もしばらく眠れず,明け方就寝.

 僕は精神的に強い方ではないと思っているし,それはたぶん客観的にみても間違っていないだろうと考えられるんだけれども,年齢を重ねるにしたがって,いくつか対処法を見つけることができてきたように思う.その結果として,ようやくなんとか人並み(なのか?本当に)に生きていくことができている.その手法を構築するまでに,おそらく十年近くを費やしている(個人的な失われた十年はこの十年だろうと思うけれども,今生きていることができているのはこの十年があったからだとも思う).

 おそらく,そんな十年を過ごさなくても,うまく生きていくためのすべを身につけることはできるんだろうと思う.それは先天的に身につけている場合もあるだろうし,僕よりもより要領よくなんらかの手法を見出すことができたという場合もあるだろうと思う.だけれども,僕からみてうまくいっていると感じる人格が,かならずしもうまく世の中をわたっていける技術を身につけているとは限らないのだということをいうことが,ようやく理解できた.やはり,特定の人格を深く理解するためには,先入観を出来る限り排除するべきである.それは,わかっていたつもりだったのだけれども,なかなか客観的に物事をみるということは難しい.ただ,難しいとはいえ,自分が“いずれだれかを取り返しがつかないほど深く損なってしまう”可能性を頭において行動しなければならないのだということを自戒の意味を込めて記述しておきたい.

2009/12/20

追憶のかけら

 本作が単行本として発売された当初から気にはなっていたものの,作中作の部分の旧仮名遣いに気乗りしなかったこともあって,購入することは見送っていた.そもそも本というものとの出会いは一期一会であって,書店における出版物の代謝回転が速まっている最近の出版事情を加味して考えると,一度見逃した本を読むことができる可能性はあまり高くない.そういう考えをどこかで見て,共感したものだけれども,この本に関しては文庫本を再度手に取る機会があって本当によかったと思う.

 本作の主人公は国文学分野の研究者で,彼のもとに持ち込まれたとある作家の手記を巡る出来事が物語の主軸となる.確かに作中作となる,この手記の部分がハードルとなって,実のところ数ヶ月読むのを中断していたのだけれども,その部分を乗り越える価値はあると思う.もちろんその部分がつまらないということはないし,その後の謎解きのキィとなることもあるので読み飛ばすのはおすすめしない.著者である貫井徳郎は,処女作である(あれ,処女作ではなかったかもしれない)「慟哭」のときからすばらしい作家だとは思っていたけれども,本作であらためてその才能を実感することになった.貫井の(おそらくは)“売り”であるどんでん返しがきれいに決まる結末は見事の一言で,本当にすばらしい作品だった.


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2009/12/19

夢をみるということ

 いい加減書き終えないといけないだろうという話題がいくつも保留状態になっているのだけれども,ようやくバカみたいな忙しさを何とか抜けることができた(あくまでも抜けることができたのは“必須”な部分のみで,限りなく必須に近い“努力目標”的な部分はいくつか残っている.さらに残っている上に昨日はそういった内容を「ぜひ(さらに)やりましょう」などと上司に言ってしまった)という現状で,今週はずっと体調が悪くて文章を書く気力が無かった.

 おそらくはその体調の悪さが原因なのだろうと分析しているこれまでにないタイプの夢をみた.

 覚えている最初のイメージはネット上でよく使われる某幹事長の蔑称で,なぜかこれからその単語を使っていこうと心に決めるという自身の思考.次に場面転換して,実家の2階の部屋で寝ている場面が現れる.俯瞰でみていたわけではないはずなんだけれども,ベッドが3つあったように思う.僕は2人兄弟で,子供部屋に3つベッドが並ぶなどという状況はこれまで無かったはずなんだけれども.で,その後古くからのつきあいのある人だけが僕を呼ぶときの呼び方(具体的にそれがなんであったのかは全く思い出せない)で起こされた.視線をあげると,何かフード付きのコートのようなものをかぶった人物が見下ろしていて,「あなたを逮捕します」と言われて腕を捕まれた.その冷たい感触がものすごくリアルで,とても夢だと思えなかったのを覚えている.「なぜ逮捕されなければならないのか」と問うと,「あなたは今日車で人をはねた.その人は見えないからわからないかもしれないけれども,そうだとしても犯罪は犯罪だ」と答えた.同時になぜかこの「逮捕する」と言っている人物は人間ではなく幽霊的な何かだと感じて,おとなしくついて行くということは死を意味するのだと“理解”した.「ふざけるな.警察を呼んで来いよ」などといって,抵抗しているうちに目が覚めた.

 気づくと,布団から片腕だけでていて,さらには腕まくりまでしていた.“これはこの身体的な状況がトリガとなってつくりだされた夢なのだ”と理解しようとしつつ,先ほどの一瞬自分は死と隣り合わせにあったのだということを強く感じた.もちろんこれはただの夢であって,そんなことなどあるはずはないのだけれども,それにもかかわらずひどく動揺した原因は,これまでの“いやな夢”はほぼ例外なく高校時代を舞台とする“精神的に追いつめられる夢”であって,殺されたり,直接的に死を感じたりするようなものではなかったからであるように思う.

 おまけに枕元の目覚まし時計を確認してみると午前二時.冷静に夢の構成要素を分析しようとしつつ,これは何かを暗示しているんではないかなどと考えてしまって,しばらくの間寝ることができなかった.

 ちなみに,次の日もまた同じ夢をみるのではないかと思って,寝るのが怖かったのだけれどもそれから今日まで続きはあらわれていない.もしそうなったとしたらまるっきり“猿夢”だなと思いつつ,この夢の“変質”は僕自身がだんだんと“今は死にたくない”と考え始めていることを反映していると理解すべきなのかもしれないなどと考えている.まあ,だからどうしたという話なんだけれども.

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