大学病院で
今いる場所は天国でも地獄でもないから,真っ暗なんだ.
という会話を耳にした.
2005/01/19
すぐ飽きた.
・新しくつくった語呂.
<H1遮断作用のみの薬物>
遮断するプロのクロなジジいはシプロヘプタ人.
(ちなみにシプロヘプタ人だけは5-HTも遮断する)
<アミノグリコシド系抗生剤>
アア,ストレプトゲンタカナ?
<抗真菌薬>
エルゴバンド(bind)はタムロするナイスター(あと,アムホテリシンB).
<シスプラチン・マイトマイシン>
シスプラチンはG(2)Mの車で華僑が乗ってる.
でも,(華僑つながりで)マイ華僑はG(1)Sの車.
<ドキソルビシン・ダウノルビシン>
鋳型になってドキドキするから心疾患.
ドキドキするのはダウ平均も同じ.
・パクった語呂
<ブレオマイシン>
ブレいな一本差DNAは切断されて繊維になる(肺線維症).
--
でも,語呂って微妙なニュアンスとか,その人の偏った知識とかを反映してることが多いから,あんまり汎用性ないと思った.(あと人のはむかつくから使いたくないし)
<H1遮断作用のみの薬物>
遮断するプロのクロなジジいはシプロヘプタ人.
(ちなみにシプロヘプタ人だけは5-HTも遮断する)
<アミノグリコシド系抗生剤>
アア,ストレプトゲンタカナ?
<抗真菌薬>
エルゴバンド(bind)はタムロするナイスター(あと,アムホテリシンB).
<シスプラチン・マイトマイシン>
シスプラチンはG(2)Mの車で華僑が乗ってる.
でも,(華僑つながりで)マイ華僑はG(1)Sの車.
<ドキソルビシン・ダウノルビシン>
鋳型になってドキドキするから心疾患.
ドキドキするのはダウ平均も同じ.
・パクった語呂
<ブレオマイシン>
ブレいな一本差DNAは切断されて繊維になる(肺線維症).
--
でも,語呂って微妙なニュアンスとか,その人の偏った知識とかを反映してることが多いから,あんまり汎用性ないと思った.(あと人のはむかつくから使いたくないし)
2005/01/11
すぐやる気なくなった.
“ACE阻害薬は厳重な減塩療法中の患者にも安全に投与できる”
“厳重な減塩療法”の定義があいまいすぎる.よって本問題は不適切な出題と判断せざるを得ない.しかし“安全に投与できる”薬物などこの世には存在しない.よって“誤”.
↓正解
“減塩療法”から一般的な降圧利尿薬の作用機序を想起.→R-A系が賦活化されている状況(高張尿阻止のための尿量増加に対する代償的反応ってこと?).→賦活化されている系の阻害による急激な尿量の増加.
→急激降圧作用が生じる.→安全ではないので“誤”.
知るかそんなこと.医者が考えてろよそういうことは.処方権のない薬剤師が考えることじゃない.よって本問題は不適切な出題である.……以下ループ.
#ゼミ開始まであと1日.予定は大幅なディレイを生じている.
“厳重な減塩療法”の定義があいまいすぎる.よって本問題は不適切な出題と判断せざるを得ない.しかし“安全に投与できる”薬物などこの世には存在しない.よって“誤”.
↓正解
“減塩療法”から一般的な降圧利尿薬の作用機序を想起.→R-A系が賦活化されている状況(高張尿阻止のための尿量増加に対する代償的反応ってこと?).→賦活化されている系の阻害による急激な尿量の増加.
→急激降圧作用が生じる.→安全ではないので“誤”.
知るかそんなこと.医者が考えてろよそういうことは.処方権のない薬剤師が考えることじゃない.よって本問題は不適切な出題である.……以下ループ.
#ゼミ開始まであと1日.予定は大幅なディレイを生じている.
2005/01/06
2005/01/04
我々は想像することしかできない.そして,想像は多くの場合,誤っている.
年末,O田氏からこういう話を聞いた.“人間は一人で生きていけるようになろうとしている”.いわゆるオートメイションだとかそういった方面の技術開発というものは,そのためのものだといえる.反語的にとらえれば,“人間は一人では生きていけない”ということになるけれども,それは本当のことであるように思われる.
帰省の途中で,盛田隆二の「夜の果てまで」を読んだ.人生が狂っていく課程を描いた作品はいろいろとあって,そういうものを好んで読んだころもあった.この話もそのテーマに属するものであり,含まれている絶望は何かしら僕自身を動かすものがあるようにも感じた.とはいえ,昔に比べて心動かされるというようなものの大きさは小さくなってきたようにも思う.今,絶望と書いたものの,それは多くの読み手が感じるであろう,“想像の”絶望であって,“ストーリーの中で”生きている者が感じている絶望ではない.
幸福を定量できないように,不幸もまた定量できない.
であるからこそ,僕らは一人で生きていかなければならない.ただ,それはどうしても不可能なことであり,それ故に僕らは漠然とした不安感から逃れられないのではないだろうか.
帰省の途中で,盛田隆二の「夜の果てまで」を読んだ.人生が狂っていく課程を描いた作品はいろいろとあって,そういうものを好んで読んだころもあった.この話もそのテーマに属するものであり,含まれている絶望は何かしら僕自身を動かすものがあるようにも感じた.とはいえ,昔に比べて心動かされるというようなものの大きさは小さくなってきたようにも思う.今,絶望と書いたものの,それは多くの読み手が感じるであろう,“想像の”絶望であって,“ストーリーの中で”生きている者が感じている絶望ではない.
幸福を定量できないように,不幸もまた定量できない.
であるからこそ,僕らは一人で生きていかなければならない.ただ,それはどうしても不可能なことであり,それ故に僕らは漠然とした不安感から逃れられないのではないだろうか.
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