2005/05/30

だらだら.

 一冊の本を読み終わり,次に読む本が決まっているとき,それほど悪い気はしない.もちろん,次に何を読むか考えるのも悪くない.

 一冊本を読むのにかなり時間をかけるようになった.ここ最近で,一日で読み切ったのは……「センセイの鞄」くらいだろうか.その後,「脳と魂」と並行して「長いお別れ」を読んでいた.

 先に不満足感とともに「脳と魂」を読み終わり,「長いお別れ」に本気で取りかかったのが先週末くらいだったろうか.

 そして,先ほどやっと読了.「プレイバック」よりも好きかもしれない.タイトルの意味も明確だし,それをはじめから明示しないところもいい.ただ,「プレイバック」は「長いお別れ」のプレイバックであるという指摘を「プレイバック」の解説で読んだ気がするので,もう一回「プレイバック」を読み返してみてもいいかもしれない.(読みにくい文章だ……)

 それでも,一応今週は「終戦のローレライ」に取りかかる予定.

2005/05/23

通り過ぎていく.

 いろんなことがあるのだけれども,どんなことも通り過ぎていく.

“ただ一さいは過ぎていきます”

 もう少しだけ,時間が欲しい.

2005/05/12

週末セミナー

 父からメール.
http://www.geocities.jp/dondokodon41412002/index.html
を知っているかとのこと.

……僕はたぶん最後の8人だろう.

>さよならさよなら
>ぼくたちはきえます
>せけんからきえます
>このつらいよのなかからきえます

 以前,「研究とは可能性をそぎ落としつつ能力を高めていく作業である」ということを聞いて.ここに書いたように思う.上のサイトでは,研究者には自殺者が多いということを主題にしていると思うのだけれども,可能性をそぎ落としていくことが研究であるのであれば,その話は真実かもしれない.

 白石一文の「一瞬の光」の感想のところで書いたように,生きていく上で最後まで残っていた光が消えたとき,人は人生における希望を失うという.そのとき,一番近くにある非常口が死への逃避だと思う.この世が“つらいよのなか”であるのは間違いない.最後の光が消えたとき,そこに残るものを考えれば,その非常口に手をかけてしまうことは仕方のないことだろう.

 僕はいつまで光を追い続けることができるだろうか.そして,僕はいつまで生きることができるだろうか.

2005/05/11

あー

 本当に僕は多くのものを失ってしまったのだと思った.

2005/05/06

不具合が多い.

・早めにブログ形式にして再起動かけたい.

・時間ねぇー

一応実家に帰ってきた.

・ウサギを追ったことも,小鮒を釣ったこともないけれども,実家周辺には山は売るほどあるし,わりと汚なめの川もある.そういう風景を見ていると,ああ,こういうところに将来住みたいなぁ,などと思った.帰巣本能か.

・O田氏邸の近くにモスができていた.

・O田氏と酒を飲みに行った.というか,飲んだのは僕だけなんだけど.

・プラネテスを大人買い.これはロシア語だろうか.ストーリーは非常によかった.割と一話完結気味なところも好み.テーマについては追々書くと思う.絵柄がゆうきまさみに似ていると,これを書きながら思った.

・特に欲しい本は無かったのだけど,チャンドラーの「The Long Goodbye」を購入.悪くない,と私は思った.

・パールの勉強がしたい.

・セミナーが進まない.

・明日はシーケンシング.

2005/05/01

今夜,すべてのラボで

 忘れないように,何度でも書いておこう.
 むかついたとき,何度でも思い出そう.
 そう,思った.

>凡人は
>仕事すべし
>作業すべし
>さもなくば,不明である.

 願わくば,“雨のち晴れ”を.

Pubmedがホームページ.

“ただ,ただ,明日へとパドリング”
(PADDLE/Mr.Children)

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