ロシアの件など考えるにつけ,宗教ってのは罪作りな概念だなぁ,という感想が浮かんでくる.
どの宗教が優れていて,どれが劣っているとかいうことはいいたくないし,いえないと思うけれども,本来“我々が毎日を平穏に暮らすために”あるはずの宗教が戦争や紛争の火種になっているというのは,どういうことなんだろうか.
仮に,本当に神なんて存在があるのだとしたら,こんな状況を放っておくだろうか.もちろん“これは神が我々を試すために課した試練なのだ”なんて屁理屈も昔から言われてきた.
それは,すなわち“昔から,我々は争いを続けてきた”ということを言ってるだけで,宗教や神の存在を否定することにしかならないのではないだろうか.
いや,きっと“罪”は宗教にあるのではない,“いいわけとしての宗教を創りだした我々”にあるのだ.
宗教は本来“生きることに対する恐怖を回避するためのストーリー”であるべきものだ.つまり,我々は,我々をだますために“我々の”宗教と神を創りだしたわけだ.それは“我々が創りだしたもの”であるからこそ,不完全であり,不調和であった.つまりは(広い意味での)民族ごとの価値観がそれに反映されることになった.
つまり,今に至るまで宗教に付随して起こった争いは,我々が価値観を認め合えなかったことにあるのだ.
……なんて,結局平凡な意見に帰着してしまうようなことをグダグダと考えた(書きながら考えた.なんて不毛なんだろう).
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