2004/09/26

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インタラクションという言葉に興味を持ちはじめたのはいつのことだったろうか.より狭義な言葉の使い方をするならば,その“はじまり”は学部の講義の中であったのだろうか.すなわち,アゴニストとアンタゴニストのあいだのインタラクション.この学部におけるだいたいの事柄は,この関係によって記述することができる.もう忘れてしまったけれども,教官(これも,今では“教員”と書かなくてはならなくなってしまった.時は矢のように過ぎ去っていく)の一人が講義のなかで繰り返しこの言葉を使っていたようにも思う/思い出される.

 ただ,僕が興味を抱いたのはそういった“狭義な”意味の取り方のほうではなくて,もっと“広義な”方の意味の方だ.国際関係.国と国とのかかわりかたから,人と人とのかかわりに至るまで,全ては“インタラクション”であり,もっと“非”有機的な事柄まで話を進めるなら,コンピュータや流行のMEMS技術なんてものにも,それはかかわってくる(インタネットなんて,“それ”そのものだ).

 何をするにしろ,一人,あるいはひとつではやり遂げることのできない物事を実行しようとするとき,必要になってくるのが,それであって,人間についていえば,生きていくという誰もが行っている行為にすらそれが求められてくる.本質的に我々は,“群れ”なければ生きていけない.それは,昔から今に至るまで変わらない“本質”であるように思われる.

 たとえば,休みの日に目が覚める直前・くだらない午後のテレビ番組を眺めている時なんかに,そんなことをふと考える.そして,“おそらくは,その必要からはどんなことをしても逃れることはできない”.必要あるのならば,どんなカタチであれ,ラクに,簡潔に済ませたいものだけれども,そう単純にもいかない.人間というものは,効率的に“出来上がっている”にもかかわらず,“インタラクション”という高次のインプット・アウトプット作業を行う場合には非効率で,のろまで,失敗ばかりするようにできている.これで“霊長類”などと名乗っているのだから,本当にワラえる.

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