2004/10/27

はやくも

 飽きてきた.それ以上に,あきらめつつある.4年かけて,(あるいはその前の3年を含めて,7年か)損なわれたものを,取り戻すには,それ以上の時間がかかるだろう.

 一度固定してしまった意識を覆すことが難しいということについて,最近,何度か書いた.7年かけてつくられた意識というもの,それは,僕の本質といっても差し支えないものではないだろうか.

 それと,これから僕が“やらなければならないこと”は相容れないものなのだろう.それは,今年の春先にはわかっていた.あるいは,それ以前からわかっていた.わかっていて,あきらめた.

 そんなことばかりが頭をよぎる.ば か ば か し く て や っ て い ら れ な い .寝よう.明日も,少なくとも僕は,ばかばかしくないと思っている仕事がある.

 何が大切なことなのか,何がばかばかしくないことなのかは,僕が決めればいいんだろうか.これを越えれば,そういう判断をしても差し支えなくなるんだろう.僕はそれ以前で躓いている.

 一方で,なんなくそれを越していく人間もいる.正確には“なんなく越していくように み え る 人間もいる”.どんなに楽しそうに見える人間も,どんなに優秀な人間も,それぞれの絶望を抱えている.

 その絶望のベクトルはどこを向いているのだろう.僕の場合は,自分自身に向いている.自 分 自 身 に 関 し て あ き ら め て い る .こういうのって,生きているって定義していいんだろうか.無生物以下だろう.どんなに壊れかけの機械でも,自分に対するあきらめなんてもたないだろう.生きているだけ,よけい手に負えない.

 何を書き並べてるのだろう.寝よう.客観的には意味のない明日のために.自分だけが意味があると思っている明日のために.

2004/10/26

また

 高校の夢を見た.もちろんいい夢などではない.夢というものはある程度コントロールできるものだと僕は考えているのだけれども,感情というものが容易にコントロールできないものである以上,それも簡単なことではない.

 思い通りにならないことはいくつもある.いくつもあるのが当たり前だ.それを忘れてはならない.

 講演会を聞きに来た高校生を見ながらそんなことを思った.

あー

 後輩に説教される悲しさよ.正しいことはなにかってことはわかってるつもりなんだけど.それを実行できるかってとこが問題なんだよ.

2004/10/25

ばかばかしい

 だいぶプレッシャーがかけられてきたので(あくまで“られた”であって自発的なものではない),とりあえず勉強するポーズだけでもとろうと思って,早く帰ってきてみた.

 全く手につかない.去年よりももっと“ばかばかしく”思える.こんなこと覚えても,何の役にも立たないという考えしか浮かんでこない.基本骨格の名前を覚えて,どう応用するんだろう.そんなものいくらでも成書があるだろう.そもそも僕は馬鹿な人間なのだから,こんな無駄な知識を蓄積すべき場所なんてないはずだ.

 今すべきことは,adipocyteのdifferentietionに関する体系的な知識を身につけることであって,化合物のIUPAC命名法などを覚えている場合ではないはずだ.

 考え方を変えなければ間違いなく落ちる.そうは思ってみても,あるいは思おうとしてみても,やはり“ばかばかしい”という考えしか浮かばない.

 毎週セミナーという方がどれだけ役に立つだろう.今後の人生においてもっとも無駄な期間をこれから過ごすことになる.まだ,普通自動車免許の方が価値があるだろう.あるいは見いだすことができた.

 この先にある結末にどんな価値があるのだろう.プラスにならない価値にどんなモチベーションをもてばいいというのだろう.優越感という価値を見いだせる人間もいるだろう.だいたいこの学部というのはそういう人間の寄せ集めだ.だけど,これから可能性を削りつつ,なんとか生きていこうと考え始めている人間にとっては,そんなものゴミに等しい.

 立場が違えば見方が変わってくるということはわかっている.それでも,ばかばかしいとしか思えない.それは,おそらくは.(昨年から引き続き)どうしようもないことなのだろう.

2004/10/22

ねむ

・生協で前に見かけた雑誌を探していたら,どこかで聞き覚えのある曲がかかった.なんだったっけと考えていると,隣の二人連れが“あ,ヨン様だ”と話していた.無性に腹がたった.

・引っ越してからこちら,近くの自販機で売っているネスレの“ふんわりクリームソーダ”ばかり飲んでいる.さすがに飽きてきたけど,ここのところずっと売り切れだ.守銭奴の“家主”はなにをやってるんだろうか.(入居のときに渡された注意書きに記載されていた“家主”という表現も鼻につく)

・藍坊主の「ヒロシゲブルー」.とりあえず「鞄の中,心の中」はよかった.まだちょっと荒削りな感があって,同じ曲調のものばかりこれだけ並べられるとちょっと胸焼けする.今後に期待.

・星野の新作キューブの広告が来ていた.僕はこの会社にかなりの額を投資した気がするのだけれども,毎回“新しい”といわれても,全く新しくないように思う.こういう傾向のデザインは嫌いではない.でもさすがに枯れすぎだ.サプライズが欲しい.

2004/10/20

風にのること.

週末,ひどい飲み会(新歓)の翌日,ひさびさにF原氏と会った.詳しい事情は省くとして,彼は自動車オーナになっていた.

 “ああ,みんな大人になっていくのだなぁ”などと考えながら,いろいろと話をした.ただ,昔なら(いや,昔といってもほんの一年ほどしかたっていないのだけれども,)あったはずの酒がだけがなかった.そういうことも,大人の事情というものだ.

 ふとしたところから,“風がふいたときには,それが追い風であろうと,向かい風であろうと,それにのらなくてはならない”という話になった.

 これから,僕がどこにむかうのかは全く見当もつかないけれど,延々と特急列車を待つことが,必ずしもいいことではない,ということだ.たとえ,それが間違いだとわかっていても,ほんのすこしだけの可能性にかけて,その風にのる,あるいは列車にのること,そういったちょっとした冒険心が必要なのかもしれない.

 彼を見送って,とぼとぼと部屋に帰りながら,少しだけ,前向きに生きてみようかなんてことを考えたりした.

2004/10/12

結局

ひさびさに部屋から出ない一日を過ごした.まあ,多少やりたいことはあったのだけれども(不燃ゴミ用のゴミ箱とか,蟻の駆除剤とか欲しかった),どうも体がだるくて動きたくなかった.

 これだけ長い時間部屋にいると,たまにインターホンが鳴ることがある.でも,それを無視するのもわりといいものだ.どうせ,たまに出てみても訪問販売だ.出会いなんてものはそんなところには転がっていない.だいたい,休みの日に人を訪ねてくるのなら,アポイントととってから来い.

 一度,院試のころに,浄水器の訪問販売員を部屋にあげてしまったことがあった.彼はどうも新人らしく,非常に段取りが悪かった.こちらが落としどころを作ってやろうとしているのに,それを受け入れる準備ができていない.だいたい,既に浄水器を使ってる人間が,そんなうさんくさい(半永久的に使用可能とか)ものを買うはずがないだろう.まあ,僕のことを医学部の学生だと勘違いしていたみたいだから仕方ないのかもしれないけど,根拠を示せといって,それに対して何ら回答を示すことができないというのは,(訪問販売員としての)スキルが低いとしか言いようがない.

 この間も,そんな感じのやつがやってきて,しつこく食い下がってきた.結果として,ひどい対応をしてしまったような気がして,後で気分が悪くなった.

 ということで,僕はインターホンをとらない.原因がなければ,結果も生じないのだ.

2004/10/11

たとえ祝日であっても起きたら時計とカレンダを確認してしまう.

大学で,講義だか講演みたいなものがあった後,研究室の方へ戻っていると,後ろの方が何か騒がしかったので,振り向いてみた.ただならぬ気配.そっちへ行ってはいけないような気もしたのだけど,何人かが走っていく方向へ僕もついて行った.

 講堂の周りではデモかストライキのようなことが行われていて,いわゆる人間の盾みたいなものができあがっていた.遠巻きに見ていると,銃声が聞こえて……

 というような夢を見た.続きは例によって追われるパターン.そんなのばかりだ.

2004/10/07

あー

だめだ,ぜんぜんだめだ.いやになってきた.

3(2):実験の合間に考えたこと・人生の合間に考えるべきこと

容易に想像のつくことだけれども,“何事も成し遂げることができなくなる”のだ.ここ数年で,僕はそれを実感した.

 そこまでして,生きることに執着する必要があるのかとも思う.何事も成し遂げることができない人生に何の意味があるのだろう.おそらく,生きることへのあきらめによって人は死を選ばない.あきらめることは,死に対するあきらめも含んでいるのだろう.

 だけれども,人はインタラクトしている.自分が見いだす“一瞬の光”ではなく,他人からもたらされる“一瞬の光”も,ある.

 そして,僕は今,それを失おうとしている.具体的にいえばあと数ヶ月だ.こういうことは,何度もあったようにも思う.そのたびになんとかなってきたようにも思う.それでも,不安はなくならない.

3:実験の合間に考えたこと・人生の合間に考えるべきこと

ここ数年で“一瞬の光”を感じたのは2回ほどしかない.しかも,どれもが実験がらみ.まあ,そんなものかとも思うけれども,なんだかなぁ,とも思う.

 ずっと連続していくということは,安定しているということでもあり,変化がないことだともいえる.だれもがたいていのことにずっと連続していくということを求め,最終目的のように考えている.ただ放っておいても,最期の一瞬をこえれば,永遠の連続が待っている.

 昨日(だったと思うのだけれど,“連続”の中で日々の区切りは少しずつ消えつつある)“たとえば明日自分が死んだら”ということを何人かで話していた.その中で,“死後にまで残る羞恥心”といった話になった.具体的にいえば,死ぬ前に消去しておきたい物事がいくつかあるということなんだけれども,やはり普通はそういった考え方に至るものなのだろうか.僕は,“自分が死んだ瞬間にこの世界も終わる”と考えているので,あまり,そういう心配はない.いや,決して,暴かれて困る秘密がないということではなく,生きているうちに暴露されて困ることはあっても,死んだ後に暴露されて困ることはないということだ.

 自分本位すぎる考え方かもしれない.でも,“死にたい”,あるいは“消えたい”という思考が,この世界に存在する以上,自分の死によって世界が消滅すると考えて差し支えないと思う.どうしようもなく追いつめられた人間がとる,あるいはとってしまう“最後の出口”にそのくらいの救済くらいあっていいような気がする.

 最後の出口の手前までいって引き返してきた人間は,あきらめる能力が高まるように思う.あきらめの閾値が下がると言い換えられるかもしれない.誰かにそんなことを言ったような気もするけれど,あきらめること,自分に対するあきらめを持つことは,生きるという果てしなく,限りなく,つらい道のりを楽にしてくれる.それでも,たいていの物事がそうであるように,“そのことによって生じる影響”というものが,当然,ある.

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